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残照 再改訂版
 私がまだ子どもだった頃、そこにはまだ「不安」はあまりなく、ちょっと注意すれば避けることができた。チャイムが鳴ったら座る。給食は残さず食べる。忘れ物をしない。ホームルームでは当たり障りのないことを言う。授業参観の日はとりあえず手を上げておく。休み時間は図書館に行く。


 私は「不安」が嫌いだった。例えば、夜中キッチンで親が殴りあってそれを仲裁しなければいけなかったり、スタンプが沢山押してあるラブホテルの回数券を見せられたり、ある日突然母がいなくなっていたりするのはもう沢山だった。私はただ静かにしていたかった。そしてその結果として私の周りには誰もいなかった。誰にもいて欲しくなかった。


* * *


 私が小学校六年生のときの先生はその年から新しく入ってきた人だった。先生は若かった。小柄で、髪が長く、色の白い綺麗な人だった。そして先生は、私が思っている範囲で言えばあまり先生らしくなかった。チャイムが鳴って席に座らなくても黙っていた。給食を残しても何も言わなかった。忘れ物をしたら隣の席の人に見せてもらいなさい、と言うだけだった。ホームルームでは誰にも意見を求めなかった。授業参観の日はあまりお洒落をしなかった。休み時間、先生はなぜかいつも図書館にいた。


 若かったから先生らしくないのだろう、と最初は思っていた。可愛いと思っていたはずの子どもが可愛くないことに気づいて幻滅しているのだとも思った。でもそれは違っていたのだとしばらくしてから気づいた。先生は、そういう人だった。私は先生がホームルームのときに出るような「クラスがよくなるためのアイディア」だの、「廊下を走らないようにするためにはどうすればいいか」だの、そんなことにはあまり興味がないのだと思った。先生はとても静かだった。うるさくなりがちな教室も何故か先生が来れば静かになった。それは私にとって気持ちのいいことだった。


* * *


 私の学校の図書館は小さく大して蔵書もなかったから誰も来なかった。だから私は休み時間いつも一人で図書館にいることが出来た。一人で窓のところに立って遊んでいる生徒を眺めるのが好きだった。誰かの笑っている顔を見ると安心した。


 ある日、図書館に行くと先生がいた。日当たりのいい席で静かに本を読んでいた。トビラを開けた音に気づくと先生は本から顔を上げた。


「あれ、○○君・・・だったわよね?」


 少し迷った顔をしてから先生は自信なさそうに言った。まだ顔をあわせて間もない頃のことだったから、先生は生徒の名前をあまり覚えていなかったのだろう。それに私のようにいつも目立たない生徒になれば覚えるのも難しかったかもしれない。


「はい」


「ごめんなさいね。でも、もう覚えたわ」


 そう言って先生は笑った。私は先生が意味もなく笑うのが多いことに、そのとき初めて気づいた。


* * *


 それは私がよくする笑いでもあった。相手が悲しい話をしているとき、わたしは「ふーん、それでどうなったの?」と笑いながら聞いてしまうことがあった。


 もう色々と考えるのは辛かった。悲しんだり怒ったりするのは疲れることだった。笑うのが一番楽だった。それは何も考えないで済むからだと思う。私は二人が殴りあっているとき、よく泣きながら笑って仲裁に入った。


* * *


 最初、私は先生が図書館にいることをひどく残念に思ったものだった。しかしそれはいらない心配だった。


 先生はいつも「ピッピと長靴」や「ドリトル先生」というような子供向けの本を読んでいた。熱中すると「へえ」だの「ふふ」だの声を漏らした。誰かが傍で楽しくしているのを見るのは、窓の外の笑い顔を見ているよりもよいものだと私は知った。


 私達はあまりしゃべらなかった。先生は私に「○○君はどうして外で遊ばないの?」というようなことは聞かなかった。私も「先生はどうして職員室にいないんですか?」とは聞かなかった。たまになんでもないことを話した。


「○○君、子どもらしくないね」


「先生も先生らしくないです」


「あはは。うん、そうね。お互い道を間違えたわね」


 図書館に行くと「不安」が消えていくのを感じた。父が酔って帰ってきて私のランドセルを窓の外へ放り投げたりしても、弁護士が来ても、母が泣きながら私に電話を掛けてきても、次の日図書館に行くと不思議と楽になった。先生と一緒にいるのは一人でいるときよりも静かで、とても楽になれる時間だった。次第に私は先生が図書館にいることを受け入れ始めた。


* * *


 いつだったか雨が土砂降りに降っている日の昼休み、先生は長い髪に雨滴を乗せて図書館に入ってきた。私は先生の顔を見たとき、どこがどうとは言えないけれどいつもと雰囲気が違うと感じた。先生は書架から「コンチキ号漂流記」を取り出していつもの席に座った。でもいつまで経っても本を開こうとはしなかった。私は先生を見ていた。先生は本の表紙をいつまでも撫でていた。しばらくして突然、先生はふっと私の方を見て、言った。


「結婚することになったの」


 先生がどうして突然そんなことを私に言うのか判らなかった。世間話なのかと思ったがそう受け取ろうにも先生は深刻そうな顔だった。またしばらくしてから先生は言い難そうに言った。


「あのね、○○君のお家のこと、大体知ってるんだけど」


「・・・・・・はい」


「その・・・うん・・・」


「・・・・・・」


「・・・ごめんね、やっぱりなんでもないわ」


 もしかしたら先生は、私のことに立ち入るお詫びとして、まず先生に立ち入らせたのではなかったろうか。先生らしいと思った。そして結局それを止めてしまうのも先生らしいと思った。そんな先生を、私は好きだと思った。だから私は言った。


「・・・先生、ありがとうございます。でも大丈夫です」


「・・・うん、そう・・・」


「にしても・・・やっぱり先生は、先生らしく出来ないですね」


「・・・○○君も、子どもらしく出来ないわね、やっぱり」


 そう言って先生は笑った。年末に、先生は前にいた学校の先生と結婚された。


* * *


 私が会社勤めをして間もないころのことだった。スーパーで先生とばったり会った。私が会釈すると先生も会釈し返した。先生の持っているカゴの中には半額の刺身と、沢山のお酒が入っていた。先生は少し恥かしそうにした。先生はもうあの頃のように若くはなかったけれど、やはり綺麗だった。でも少し頬がこけているようにも見えた。


 スーパーで会ってから先生とはちょくちょくと顔を合わせるようになった。先生は大して遠くないアパートに一人で住んでいた。少し前に、離婚されていた。


 その後、私は何度か先生のアパートにお邪魔した。先生の部屋にいると、私は図書館のことを思い出した。そこでまたなんでもないことを話した。


* * *


 スーパーでばったり会って、話して、いつもではなく、たまに先生の部屋に行く。付かず離れずとでも言おうか。そんな往来が私たちの性に合っていたのかもしれない。しかし先生の部屋に行った帰り、道を歩いていると、私は嬉しいと思うとともに、怖ろしいとも思った。私には自分が先生と一緒にいたいのか、いたくないのかよく判らなかった。私は何をそんなに怖がっていたのだろう。多分「不安」が堪らなく怖かったのだと思う。でもその「不安」はいつも私が感じていた「不安」とは少し違った気がする。


* * *


 ある日、珍しく先生は酔っ払った。スーパーで会って先生の部屋に行ったとしても、いつもコーヒーを飲むだけだった。しかしその日の先生は冷蔵庫から缶ビールを持ってきたのだった。


 先生はあまりお酒が強くないのだろう。缶ビール一本でもう手つきが怪しくなった。なのに続けて日本酒のワンカップを飲み始めた。私には先生がお酒を好きで飲んでいるのではないのだと思えた。しばらく飲んだ後で先生は机にうつ伏せになっていた。何かを胸の奥に押し込めているように思えた。先生が悲しそうな笑い顔をして、私をじっと見た。


「ねえ、○○君」


「はい、先生なんですか」


「あのね・・・その・・・・・・あのこと、覚えてる?」


「・・・なんのことですか?」


「ん・・・あはは、いいのいいの、やっぱりなんでもないの」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・あの雨の日のことですか?」


「・・・・・・・・・あはは、なーんだ忘れてなかったのね」


「ええ・・・その、嬉しかったから、忘れないのかもしれません」


「え・・・・・・○○君、嬉しかったんだ?」


「ええ、嬉しかったですよ」


「ん・・・そうか・・・○○君、嬉しかったんだ」


 「そうか、そうか、そうだったのか」と先生は呟いて、不思議そうな、意外そうな、どこか嬉しそうな顔をして、笑った。初めて私は先生が本当に笑うのを見た気がした。


 その後私達は段々、なんでもないことではなく、お互いの話をし始めた。
 

* * *


 冬のことだった。先生がアパートの火事に巻き込まれて亡くなった。隣に住んでいた大学生の煙草の火の不始末が原因だった。先生が亡くなったと知って私が行ったとき、もう殆ど焼け落ちていた。私は焼け跡の先生の部屋あたりを見回したけれど、ただ黒焦げたものがあるばかりだった。私はその場から早く離れたかった。根拠のないことを色々と考えながらサラリーマンやOL、主婦の間を擦り抜けて、必死で先生のことを考えないようにしていた。しかしどうにもならず、私はいつまでも街を歩き回りながら、涙が止まらなかった。


* * *


 私はその後、結局先生の葬式に出ず、先生とよく会ったスーパーにも行かず、ただただ何もかも押し流してしまいたいようなそんな気持ちになっていた。


 いつか先生が珍しく酔っ払った日のことを、私にあの雨の日のことを聞いた日のことを私はよく思い出す。先生も理不尽なあの「不安」を知っていたのだろう。誰かに「お前はいらない」と正面から言われた人だったのだろう。ただ、先生は私なんかよりもずっと強かったんだと思う。「でも、私は私がいなきゃなんないしね」といっていつまでもこだわらなかったんだと思う。


 そうやって時間が経つにつれ、先生を懐かしむような気持ちが強まってくるようだった。どうやっても忘れられないなら、いっそいつまでも覚えておいたほうが良いのではないかと、そう思い始めた。私はうだうだと始末の悪い人間だった。それでも、先生のことはきちんとしなければいけないと、そう思った。


* * *


 そんなある日、私はこんな夢を見たのだった。


* * *


 通りがかった公園のブランコに乗っていたのはまさに先生だった。私は何故か花束を持っていた。なので先生に手渡しをしようと思った。花を渡すと先生は、


「すごい、自分の命日にお花渡されるなんて」


 と笑った。


「今日は先生の命日なんですか?」


 と私が尋ねると、先生は、


「うん、違ったかもしれないけどね」


 と言って、また笑った。だから私も笑おうとした。しかしどうしても涙が出た。どうしても、笑えなかった。いつまでも子どものように泣き止まない私の腕に、先生は軽く触れ、そっとゆすった。


「・・・なんだ、○○君も、やっと子どもらしくできるようになったんだね」


 私は目を開けた。しかし目の前には誰もいなかった。いつのまにか夕日が出ていて私はブランコの長い影を踏んでいた。そして辺りをいくら見回しても、私が持っていた花束はどこにも見あたらなかった。
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【2006/03/09 17:57 】 | 発狂用 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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