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 ゼットン人形に、今日の不行跡を叱られる。自分を哀れんではいけない、と言うのだ。まったくそのとおり。でもぼくは酔っ払っているので、いろいろなことをだらだらしゃべった。

石頭のドイツ人は実践理性のアンチノミーとして、このようなことを言 っている。


「定立:幸福追求が道徳的善を決定付ける
 反定立:道徳的善を求めることが幸福を条件づける」


 彼は、「幸福追求が道徳的善を条件づける」という アンチノミーの定立を「道徳秩序の転倒」と名づけ、人間はこの転倒へと陥る「自然本性」を持っているのだそう。これを彼は、人間の「根本悪」と言っている。つまり、あの有名な命題において、タンスの中のユダヤ人を助けることは、 自己愛が混じった「同情や思いやりの感情」から来ているため、道徳的には悪だ、と。 恐らくそういうことじゃなかろうか。だって道徳秩序の転倒がなされるかぎり、他人から見ればどんなに「良いこと」でも、「根本的に悪」なのやから。
 だから、彼の言う意味では生きていけないのだろうな。


 プラグマティズムが、この定言命法を軽やかに無視しているんが、痛快だなあ、と思ったりする。だから、わたしは、そういうのに傾いてしまった。でも、石頭のいうことはやっぱり、実現不可能だとしても、好きなので、どうしようもない。友人は、そんな僕を怖がる。でも、好きなのでどうしようもない。どうしようもないので、どうしようもないよね。うん。僕は、自分の信じたいことしか信じないし、あなただって、きっとそうでしょ。わたしは、プラグマティズムは信じても、実在仮説までは信じない。


 ほら、また自分を哀れんだ、とゼットン人形が言った。いいじゃん、いいじゃん。だって、辛いんだもん。それになんだか夜風が冷たいの。あーもー、ちくしょうめ。てやんでえ
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【2006/02/09 02:16 】 | 発狂用 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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