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大人になるために その2
 そんなわたしの独り言 その2


* * *


備考、読んだ本:よのなかのルール(宮台真司)、新しい社会学の歩み(新 睦人)、精神の現象学(ヘーゲル)、社会契約論(ルソー)、人倫の形而上学の基礎づけ(カント)


 社会学的に、今、社会のルールが変わりつつあるそうで。今までのポスト・モダニズム的な思想が衰退してきているのだそうな。


 では、今までのポスト・モダニズム的な思想はなんだったかというと、これは絶対の真理や道徳などの存在を否定したもの。そういったものは絶対的でなく、単なる自称であり、人間を一定の枠にはめてしまう。共同体も同じく、社会に適応的な人間を作り出すという意味で、否定されるべきものである。であるから、真理・道徳・共同体に取り込まれず、そこから逃走し自由で快楽的な生き方を作るべきなのだ!ということなのだそう。

 しかし、これは人間は必ずしも限りない欲望を抱くわけではない、と批判できる。つまり、抑圧から逃げるだけでは、本当に「自由で快楽的な生き方」を作れるわけではない。例えば、学校の制服という抑圧があったとして、その抑圧からあなたは自由になることができました。でも、学校に何を着ていけばいいんだろう?っていう、自由になったが故の新しい問題を抱え込むことになる。別に学校の制服じゃなくても、「どういう生き方をすればよいか?」「生きていくことに意味はあるのか?」「どうして人を殺してはいけないのか?自殺してはいけないのか?」っていうように、ルールがなくなったがゆえに、今まではあまり出てこなかったような「実存的」な問題がでてくることになった。それが今の社会。


 つまり、ルールがなくなり、ルールに寄りかかることができないがゆえに、宙ぶらりんなわたしたちになってしまったわけである。「これが正しい!」というルールがないのだから、なにが正しいのか判らなくなってきてる、って言い換えが可能。


 また、ポスト・モダニズムは、そういった個人的、実存的な悩みだけでなく、社会的な問題に対しても答えを出すことはできない。何故なら、社会問題の解決=より望ましいルールを考えること。人間の欲望を抑圧するのがルールであり、ポスト・モダニズムはこれを否定する。だから、望ましいルールを考えることができない、っていう不自由を逆に抱えてしまう。


 では、どうすれば?よのなかのルールの本質について、もう一度考えてみる必要がある。社会に属することは、社会のルールを全面的に肯定することなのか?社会に対して献身を誓うものなのか?批判し、より良いものに変えていくことはできないのか?その方法を学び、考えなければいけない。というのが、今のよのなかを生きていくには必要ではないのか。
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【2007/04/02 13:10 】 | 平四郎的日常録 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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